原爆について
太平洋戦争で日本では二つの原子爆弾が投下されました。
一つは、1945年8月6日午前8時15分広島県で、二つ目は、1945年8月9日午前11時2分長崎県に落とされました。
広島では、広島市内の中央に位置する相生橋が目標点とされ、上空580メートルの地点で、爆発したのです。
強烈な爆風と衝撃波を巻き起こし、爆心地では、ガラスや鉄も溶けるほどの威力だったのです。
そこから、3.5キロ離れている人も大やけどを負ったのです。当時広島市内には、342000人がいましたが、当日50%の人々がなくなり、4ヶ月足らずで、約140,000人の人々が亡くなりました。
それは、黒い雨と言われる大量の放射性降下物が降り出し、その雨にあたった人たちは、急性障害などを引き起こし、亡くなっていったのです。
長崎県では、長崎市北部の松山町171番地[テニスコートの上空で爆発した、被害は、死者7万3884人、負傷者7万4909人になり、その後放射能汚染により、12万820人が亡くなったのです。
当時長崎県の人口は約240000人だったのですが、そう考えると一瞬の出来事で、7割以上の人が亡くなっているのです。